インタビュー:伝統工芸 高岡銅器を継承するために、
「モメンタムファクトリー・Orii」の新しい挑戦
400年の伝統を誇る、富山県高岡市の伝統工芸、高岡銅器。
今回、「工芸ルービック 匠二弾」である「高岡銅器 折井発色」を手がけるにあたり、制作にご協力いただいた「有限会社モメンタムファクトリー・Orii」の代表取締役であり、高岡銅器仕上部門 伝統工芸士である、折井宏司さんにお話を伺いました。
伝統工芸とは、そこにある背景とは、そしてこれからの伝統工芸とはー。
なかなか表には出てこない伝統工芸の現状と、その中で新しいことに挑戦し続ける伝統工芸士としてのこだわりと責任について、赤裸々にお話いただきました。
― まず、伝統工芸の高岡銅器について、簡単にご説明いただけますか?
モメンタムファクトリー・Orii 折井氏(以下、折井):高岡銅器は、約400年余りの歴史があります。7人の鋳物職人が、高岡の金屋町というところに送り込まれてから産業が発展していったと聞いております。元々は生活用品の鉄鋳物からでしたが、江戸中期頃から美術工芸品と言われる銅器に転化していき、その時代その時代に合った美術工芸品を分業制で行っているところが特徴的です。
― 分業制が特徴とのことですが、折井さんが手がける分業のポジションを教えていただけますか?
折井:高岡銅器の分業の中で原型製作、鋳造、溶接、バリ取り・研磨などの工程踏んで仕上がった生地に色を付けていく最終工程の仕事です。
― 折井さんの会社は、何年続いているのでしょうか?
折井:「折井着色所」としては、1950年、昭和25年に祖父が創業しており、今年で72年目になります。
― 今回ルービックキューブに使っていただいたのは、折井さん独自の「発色」という技法ですが、伝統技法の「着色」とはどのような違いがあるのでしょう?
折井:高岡銅器の伝統的な技法は、不純物が含まれた銅合金の鋳物に対する着色です。糠焼きなど、溶解寸前の1000度以上まで高温で着色するのが主流です。私が新しく行っているのはうすい1mm程度のピュアな銅板・真鍮板に対する着色で、伝統的な着色がなかなか難しいというのが定説でした。それを、伝統の技術を応用しながら、新たな技法で様々な色を出せるようになったのが、私の編み出した「発色」という技法です。
― その「発色」という技法は、どのようにして生み出されたのですか?その背景や誕生秘話みたいなものがあれば教えてください。
折井:「着色」の加工業は、元々100%下請けで、美術工芸品、仏具、仏像といった鋳物をうちの工場に持ってきていただいて、それでやっと仕事ができる環境なんです。しかし生活様式が変わり、どんどん仕事が激減していく中、このまま下請けとして他を頼っていても売上が立たない。であれば、自社でも製造販売に切り替えて、自社のオリジナル商品を作っていかなきゃならない。そこで目をつけたのが薄い板でした。うちでは鋳物はできませんが、特化した技術は「着色」です。これを生かして銅板・真鍮の板に様々な色を施すことにより、板でいろんな製品ができるのではないか、インテリア用品や建築物に転化していけるのではないかと考えました。
折井:まず仕入れ先もなかったので、ホームセンターに銅板を買いに行き、いろいろ実験しました。最初は伝統的な手法の「糠焼き」など色々なことを試してみましたが、高温で焼くために板がベコベコに曲がってしまいました。これでは全く商品化できないので、試行錯誤しながら、伝統的な手法の1000度まで上げなくても、薬品を変えたりある程度の温度や濃度によって、様々な色が出せるようになるまで、気が付くと一年ほど費やしていました。その色の一つに今で言う「斑紋孔雀色」という名前をつけました。何度も何度も試行錯誤し、ようやく達成できたこだわりの色です。ですが、自分で名付けたにもかかわらず安定して色が出せず、どうしてこんな色になるのかと、同じような色・斑紋を再現するために、さらに数ヶ月は試行錯誤を繰り返しました。するとある日突然、感覚的に、感性的なもので「あ、こういう条件でこの色が出るんだ」と編み出すことが出来ました。一度その感覚を身につけてしまえば、自転車に乗れるのと同じように、安定して同じような模様・色目が出せるようになりました。これをきっかけに、さらに応用して、2種類、3種類、4種類と安定的に色を作り出せるようになり、今展開している基本色12色できるようになりました。
― ルービックキューブの思い出はありますか?
折井:そうですね、小学校の頃、ちょうどルービックキューブのテレビが毎日のように放送されて、私も小さい頃買ってもらってチャレンジしました。ですが奇跡で3面、4面程度で全部揃えたことはないです。テレビ等で数十秒でパパパッと全面揃えている方がいますが、今だにどうしてかわからないですね(笑)。
― 最初に高岡銅器のルービックキューブのお話を聞いた時、どのように思われましたか?
折井:いや、ほんとに「えっ」て思って、懐かしいなという思いと、ルービックキューブの世界で伝統工芸とか、日本の職人の技が生かせるんだと思い、かなりマニアックですが、すごいおもしろい企画だと思いました。
― 高岡銅器のルービックキューブのパネル、作ってみてどうでしたか?
折井:細かいです、かなり(笑)。アクセサリー等で細かい製品づくりは行っていますが、このルービックキューブは一つの商品に54個も使います。更に×ロット数分になると、そうですね。こういう細かいものでこれだけの量というのは初めてですね。
― モメンタムファクトリーのこだわりやポリシーなど、お聞かせください。
折井:「モメンタム」という言葉には、「勢い」や「弾み」という意味が含まれています。伝統工芸を私が継いだ時はもう下火になっていましたが、伝統工芸を勢いよくしたい、そういった意味もあります。
あと職人というのは、カッコよくなければいけないと常日頃思っています。伝統工芸が衰退しているから仕事がないのは仕方ないではなく、伝統工芸を新しい伝統工芸に、今までなかったこともどんどん挑戦していき、これが30年後・50年後には普通になっていく、新しいことが普通になる、言わばスタンダードになっていく、これも新しい伝統工芸、これからの伝統工芸ではないかという思いで、私は常に取り組んでいます。
― 折井さんがここまで挑戦し続けてこれたのは、どういったところにあると思いますか?
折井:そうですね、私が行ったことは伝統工芸を生活様式に合わせて変えて、カジュアルに落とし込んでいったことだと思っています。伝統工芸は古臭いとか、高いとか、若い人たちのそういった感覚を、今の生活に合ったインテリアなどに落とし込んでいってるのではないかと思ってます。自分自身が25年ほど前に継いだ時に、「こんな置物別にいらないよな」と内心思いながらも下請けの仕事をしていて、そして仕事が激減していきました。ならば自分が使ってみたいものに落とし込んでいく、さらにそれが自分の子供や、将来孫の世代にもかっこいいなと思ってもらえたら、日常使いできるようになっていったらいいな、という思いでこれからも挑戦し続けているところです。
― 折井さんにとって、やりがいに繋がっているのはどのようなところですか?
折井:色々なデザイナーさん、インテリアやプロダクト、建築の方々と仕事をするようになって長いですが、やはりデザイナーさんはすごく細かいです。一枚のキャンパスの中の「このへんの部分の八割くらい」など、無理難題を言われます。最初に「それ無理です、できない」と言ってしまったらそこで終わりです。やってみて、また新しい色が生まれてきたというのも事実ですので、やはりいろんな方々からの無理難題にチャレンジしてみることによって、職人としてもまた自分もステップアップできるところがやりがいに繋がっています。
― 伝統工芸を継承していく責任や意識をお聞かせください。
折井:伝統工芸は非常に素晴らしい技術です。ですが、昔ながらの伝統工芸のみに固執していると、私たち職人は手を動かして仕事をして稼いでいるので、生活ができなくなってしまいます。ただしその400年続いている伝統工芸を守っていかなければならない。私はそのためにも、昔ながらの伝統工芸も行いつつ、新たな分野で市場を開拓しながら、伝統工芸の技を後世に伝えていかなければいけないと思っています。本来なら伝統工芸の仕事だけでやっていけたら良いんでしょうが、私は新しいことに挑戦していくことで、伝統工芸の技を継承していけたらという思いです。
― 革新への心意気などお聞かせください。
折井:伝統工芸の業界は保守的な考え方が根強いところがあります。私は常に、自分で考えて、自分で資金を作ってチャレンジする、失敗しても自分のせい。ということを徹底しています。なので、今日のような自社で製品を開発し、販売するスタイルを確立するまで相当時間がかかりました。特に、全くマーケットリサーチもなく誰もやってなかったことを、自分がほしいものを作ってみて、それが徐々に認めてもらえるようになったところは、すごく時間がかかっています。
昔のままの踏襲だけではなく、自分らは自分らで考えて行動していかなければならないと思っています。新しいことをやり始めたのは、僕ら職人も、その腕があるので、それを活かして他のものに転化し、自分で成り立つようにすればいい、と思ったのもきっかけのひとつです。
私は多趣味なので、様々な異業種の方と交友が深く、全く関係ない飲食店の人や、キャンプ好きな人、車好きな人、全くノージャンルな人たちと会話します。そういう人たちとの普段の会話から、いろんな発想が出てきます。伝統工芸の業界とは全く違う目線から「こんなこといいんじゃない?」「その色ダメだよ」など、アドバイスをもらえると、「あ、それいいかもしれない」「ちょっとやってみよう」と素直に聞けて、自分の次のトライに、糧になってるところが非常にあります。
ありがとうございました。
今後も折井さんのチャレンジに期待しています。
お話を伺って、折井さんの伝統工芸に対する思い、新しいことにチャレンジする姿勢、理屈抜きの職人のカッコよさがとても印象的でした。そんな折井さんの元には、全国からの若い職人や、異業種の人たちが自然と集まっています。そのような環境の中で刺激を受け合い、新しいアイデアが生まれる。伝統工芸 高岡銅器のさらなる発展に期待せずにはいられません。
工芸ルービックキューブ 高岡銅器 折井発色
モメンタムファクトリー・Oriiによるタイル生産工程
有限会社モメンタムファクトリー・Orii
1950年に折井竹次郎さんが、高岡銅器の着色を手がける折井着色所を創業。皇居二重橋龍橋桁や照明灯、大型仏像などの着色に携わる。二代目の雅司さんの時代には美術品や記念品、銅像、仏具など、伝統的着色技法の仕事で工場は活況を呈す。三代目の宏司さんは銅などの圧延板材への発色技法を独自に開発。建築、インテリア、飲食業界のほか、ファッション分野など、異業種との交流を積極的に進め注目を集める。ものづくりの可能性を広げ、伝統産業に新しい風を吹き込んでいる。
工芸ルービックキューブ 高岡銅器 折井発色 セット内容 ルービックキューブ本体、専用台座BOX(シリアルナンバー入り・折りたたみカバー付)、
高岡銅器 折井発色ガイド、取扱説明書 サイズ・重さ 本体 W57×D57×H57(mm)・約170g 価格 220,000円(税込・送料別) 受注期間 2022年07月15日(金)11:00~2022年08月31日(水)15:00 お届け時期 2022年11月から順次発送
※製品仕様は開発段階のものであり、サイズや重量や色味が予告なく変更する場合があります。 ※当製品は受注生産商品です。発送は日本国内に限らせていただきます。 ※当製品はプレミアムバンダイで販売いたします
発売元/株式会社メガハウス 〒111-0043 東京都台東区駒形2-5-4
企画・デザイン/エイジデザイン株式会社
〒920-0962 石川県金沢市広坂1-2-32 北山堂ビル4F
協力/有限会社モメンタムファクトリー・Orii
〒933-0959 富山県高岡市長江530 折井着色所
RUBIK’S TM & © 2022 Spin Master Toys UK Limited, used under license. All rights reserved.
工芸
工芸とは、美的価値をそなえた実用品を作ること※1であり、中でも長年受け継がれている技術が用いられた工芸品のことを伝統工芸といいます。日本の伝統工芸品の生産は1984年にピークを迎え、バブル崩壊後の経済低迷や安価な海外製品の台頭、ライフスタイルの変化などで年々減少し、現在はピーク時の5分の1といわれており※2、従事者の高齢化や後継者不足など、課題も山積しています。しかし、近年、日本文化を見直す動きや、モノの本質的な価値を見出す本物志向の考え方も広がりを見せ、現代のライフスタイルに合わせた斬新な商品も数多く誕生、人気アニメとのコラボレーションや、工芸品の海外展開も高評価を得ており、新たな顧客層も獲得しています。また、日本に各地に根付いている伝統工芸は、今や地方創生の要ともいえる産業であり、文化であり、地域と密接な関係と文脈を持った最強のコンテンツの一つといえます。地方創生施策として、2020年に東京国立近代美術館工芸館が工芸のまち・石川県金沢市に移設され、「国立工芸館」として新たにスタートすることが大きな話題となり、「工芸」への関心はますます高まっています。時代とともに変化して受け継がれてきた確かな伝統の技術は、新しい感性を加えた「現代日本のものづくり」として改めて注目されています。
※1 広辞苑より
※2 一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会HPより
高岡銅器
高岡銅器は、今から約400年以上前に高岡城下町に7人の鋳物師(いもじ)を招いたことに始まり、生活必需品や農機具の鉄器から、細密な装身具や仏具などの銅器の製造へと変化し、時代と共に発展し一大鋳物産地が富山県高岡市に形成されていきました。
分業制による高度な伝統技術は今も脈々と受け継がれ、銅器づくりの国内シェアは現在90%以上を占めています。しかしながら、誰しも一度は目にしているにも関わらず、伝統工芸としては知名度がそれほど高くないのが現状です。そんな伝統工芸「高岡銅器」について簡単に紹介します。
高岡銅器の歴史
高岡銅器は、二代目加賀藩主前田利長公が高岡城の城下町に産業を興すため、慶長16年(1611)に、礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西金屋)から、7人の鋳造師を現在の高岡市金屋町に呼び寄せ、特権を与えて定住させたことに始まります。
当初は鍋・釜・鍬・鋤などの鉄鋳物が作られ、これが高岡の町の主力産業として成長していきました。
宝暦年間(1751~1764)以降、浄土真宗の拡大と町人の経済力の高まりを背景に、鉄などに比べて複雑で繊細な形状が表現でき、加工性も高い銅鋳物、銅製仏具や梵鐘が作られるようになりました。
さらに、明治維新により刀の鍔、目貫、鎧などへの加飾の需要が失われたことで、彫金や象嵌の技術をもった彫金師が加わることで、加飾技法もより発達し、1867年のパリ万国博覧会をはじめ、様々な万国博覧会で非常に高い評価を得、国内外で多くの名工たちがその精密な技巧により「高岡銅器」の名声は高まっていきました。
一方で、万博をピークに、装飾過多ともいえる高岡銅器の人気は次第に降下しましたが、製造過程を分業し、それぞれ専門の職人・会社が技を磨き、特化して素晴らしい発展を遂げた高岡銅器の職人の技術は今日も受け継がれています。
昭和50(1795)年、国の伝統的工芸品の産地指定を受け、地域ぐるみで技術の保全はもちろん、さらに新たな技法を生み出しながら、『高岡銅器』は日々進歩しつづけています。
現代の「高岡銅器」
国内トップシェアを誇り、国宝級の仏像や装飾具といった文化財の再現や修復などはもちろん、地域おこしのキャラクター銅像や、アイディアとデザイン力により銅に限定しない金属で新しい商品が開発され、さらには加工・加飾の技術そのものをアピールし新たな分野に進出するなど、「新たな高岡銅器」が生まれ、全国でも注目されています。
Q&A
Q1:鋳物とはどういうものでしょうか? 金属で品物を作る方法は主に2つあり、高熱で溶かした金属を型に流し込んで成形するのが鋳造(ちゅうぞう)で、金属板を型にあてて叩いて成形する鍛造(たんぞう)です。
この鋳造(ちゅうぞう)で作られた品物を鋳物(いもの)と呼びます。
伝統的工芸品産業のもと指定された鋳物産業には、岩手県の南部鉄器、山形県の山形鋳物、そして富山県の高岡銅器があります。
小さなものから巨大なものまで、銅だけでなく鉄やアルミ・錫・金・銀といった様々な金属で、バリエーション豊かな仕上げの方法で品物が作れるという点で、高岡は他の金属製品産地と一線を画しています。
Q2:仏像などの文化財はなぜ銅でつくられているの?
銅は耐食性にも優れており、風雨にさらされても鉄のように朽ちることがありません。
古代の遺跡から出土した銅鐸や銅剣の多くが原型を留め、千年以上前につくられた寺院の塔頂金物や器物には現在でもその美しさを留めているものが少なくありません。
銅像やブロンズ像の多くは高岡で製造されたものですが、適切な補修とメンテナンスを行えば往時の美しさが蘇ります。
Q3:銅合金にどうやって色をつけているの?ペンキなどで塗っているのでしょうか?
塗装ではなく、表面を腐食させることによって金属そのものを様々な色に発色させています。薬品で化学反応させたり、高温にすることにより、銅合金の表面は様々な色に生まれ変わります。高岡銅器の最終工程である「着色」といわれる伝統工芸技術です。様々な着色の技法があり、表現される色や紋様には独特の深みがあり、見る者を魅了します。
今回ご協力いただいたモメンタムファクトリー・Oriiさんは、高岡銅器の最終工程「着色」に特化しており、さらに技術を進化させて「発色」という新たな技術を生み出しました。
参考資料
高岡市観光ポータルサイト(https://www.takaoka.or.jp/download/)
高岡銅器協同組合ホームページ(http://www.doukikumiai.com/)
伝統工芸高岡銅器振興協同組合ホームページ(https://douki-takaoka.jp/)
高岡銅器の歴史と化学 富山県大学芸術文化学部教授長柄毅一氏
KOGEI Rubiks TakaokaDouki Oriihassyoku
2022Japan Tokyo & Toyama
Publisher Megahouse Co., Ltd.
Planning / Design AgeDesign Co., Ltd.
Cooperation momentum factory Orii