創業から250年以上続く有田焼の老舗「藤巻製陶」
常に時代に沿った有田焼を模索し、進化し続ける窯元
工芸ルービックキューブ 匠四弾は、佐賀県有田町を中心に伊万里市、武雄市、嬉野市一体で焼かれている伝統工芸「有田焼」とのコラボレーションです。日本で最初の磁器、有田焼は400年以上の時を経てなお、私たちをなお魅了してやみません。
2021年の立ち上げ以来、これまで工芸ルービックシリーズ(販売:株式会社メガハウス)は、匠一弾 九谷焼 五彩、2022年 匠二弾 高岡銅器 折井発色、2023年 匠三弾 金沢箔 金箔 と、弊社の所在する北陸の工芸にスポットをあてていましたが、九谷焼を企画した時から、いずれ挑戦してみたいと思っていたのが、同じ磁器産地であり日本屈指の磁器産地である有田焼でした。
今回縁あって有田において制作協力いただいたのが、江戸時代明和3(1766)年創業の250年以上続く窯元「藤巻製陶」さんです。
これまで弊社で携わってきた数々の伝統工芸と同じく、分業制で成り立ち、柿右衛門に代表されるように色絵が魅力的な有田焼では珍しく、藤巻製陶では上絵を施さず成型から焼成まで自社工房で一貫して手掛ける、唯一無二の存在です。今回はその藤巻製陶10代目藤本浩輔氏にお話を伺いました。
―有田焼の歴史について教えてください。
およそ400年前の豊臣秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮人陶工の李参平氏が、泉山の白い陶石を発見したことから有田焼の歴史がはじまりました。当時の朝鮮では陶工の地位は決して高いものではなく、李参平さんはじめ朝鮮の陶工達も、自分たちの技術が必要とされる異国の地でチャンスをつかもうと思い日本に来てくれたと思います。日本に渡り、現泉山磁石場(写真:佐賀県西松浦郡有田町泉山1-5)で、白く良質な陶石を発見し、現在に至ります。
その功績を讃え、町内にある応神天皇を奉る陶山神社では、陶祖として李参平さんを奉る記念碑があります。現在も韓国人観光客が自国祖先の記念碑を一目みようと、数多くの方が参拝に来て頂いています。
―藤巻製陶のこだわり、結晶釉について教えてください。
有田焼は昔から分業体制でもって、成形、絵付け、各セクションでプロフェッショナルが分かれて生産しています。しかし弊社は、成形から最終焼成まですべて一貫して生産しています。また、絵付けをしないため、造形と釉薬に特にこだわりをもって生産しています。
実は、高度経済成長期に産地全体で絵付け師不足に陥ったことがきっかけで、絵付けを施さない商品を開発しようと、造形や釉薬を研究し、青白磁などを手掛けるようになり、なんとか今の生産体制に辿りつきました。
有田焼は、磁器であるがゆえに、どうしても冷たい、硬いといった印象をもたれてしまうことが多く、それをどうにかして、柔らかい印象にできないかと、試行錯誤を重ねました。隣の産地「唐津」の朝鮮唐津のような雰囲気の磁器が良いのではと目指すイメージを定めてさらに試行錯誤を繰り返す中、量産レベルでコントロールできる釉薬として生み出したのが、今現在弊社が生産し、このルービックキューブにも採用頂いた「結晶釉」です。
―結晶釉の開発はどのようにされたのですか?
結晶釉は、施釉を2度行うことで、ガラス質が厚くなり、ぷっくりと柔らかな印象を与える美しい仕上がりとなります。その分重量が重くなるため、なるべく生地を薄くしたいのですが、薄いと焼成時に割れてしまうため、こちらも試行錯誤しながら極限まで薄くできるようにデータを取り続けました。このように各工程の難易度は上がり、細やかな管理と高度な技術力が必要とされ、長年培われた技術が結集した高い境地で実現した釉薬技術であると自負しています。
色は、最初に青色、紫色と開発しました。もう少し明るい色もほしいとオレンジ、ピンクと、取り組んでいくうちにだんだんレパートリーが増えていきました。どうせなら虹色の7色にして商品展開したいと、赤や黄色にもトライしたのですが、絵具のそもそもの顔料が高価すぎたり、釉薬と混ぜたときに安定しない反応を示したり、技術的な問題点があり、今の5色に落ち着ている感じです。
―工芸ルービックキューブのオファーを受けてどう感じましたか?
今、伝統工芸に限らず様々なものが異素材とコラボレーションする中で、僕でも知っている玩具のルービックキューブでもそういうものがあることに驚きました。
あと、第一弾が九谷焼さんで、同じ焼物のカテゴリーでチャレンジされた方がいるんだと、わくわくする反面、同じ素材で2回目となると、有田焼として何ができるのか、差別化が図れるのか等少し不安もありました。でも自分たちの仕事が、世界的に有名なルービックキューブとコラボし後世に残っていくものづくりに携われると思うと、私としてもとても楽しみですし、すごく感謝しています。
―お客様に特に伝えたいところをぜひ!
釉薬がすこし厚めにかかっているので、ぷっくりとした手触りで、匠一弾の九谷焼との違いが明らかにわかると思います。凹凸のある手触り感をぜひ楽しんでもらえればと思います。
―工芸ルービックキューブのタイルの生産にトライしてみていかがでしたか?
弊社で取り組んだ中では、今回のタイルが間違いなく最小サイズだと思います。さらにそのタイルは規格のもの(ルービックキューブのコア)にはめ込むものなので、そこは妥協せずにきっちりと一つ一つ、各段階の仕事を積み重ねました。モノは小さいですが、大皿をつくる以上に職人さんが神経使いながら取り組んでいます。
弊社は絵付けしないので、釉薬の使い方と造成を今までもこだわりをもってやってきたつもりですが、今回、弊社史上最小のタイルに取り組んだことで、造形の大切さをスタッフ皆が改めて意識し、造形能力を更に磨いていこうと考える良いきっかけになりました。
―お客様に特に伝えたいところをぜひ
釉薬がすこし厚めにかかっているので、ぷっくりとした手触りで、匠一弾の九谷焼とはまた違った魅力を感じて頂けると思います。凹凸のある手触り感をぜひ楽しんでもらえればと思います。
―有田焼の現状を教えてください。
有田焼は今現在、最盛期から売上が1/8ほどの状況になっています。どの伝統工芸産地も似たような状況だと思いますが、働き手の確保とか、各分業セクションでの職人さんの高齢化など課題は山積しています。一方で3Dプリンターなど色々な新しい技術が業界内にも入りこんできているので、デジタルとうまく組み合わせながら次の時代の伝統工芸をめざしていくのが産地全体として必要だと思います。
有田焼は、近年メインは国内マーケットですが、日本の人口減少もあり「海外販路」が大きなキーワードというか、もう必須になっており、そこに向けて対応できるグローバルな人材の確保が、有田焼の産地にとって必要だと感じています。
―藤巻製陶さんの今後の展望を教えてください。
なんでもトライし続けて、変わり続けることが大事だと考えています。
例えば、京都の窯元さんが、京セラとずっと一緒に仕事したことで、ファインセラミックスで今では航空部品をつくるようなメーカーさんに変化したところもあります。何かのきっかけで、もしかしたら藤巻製陶という社名はそのまま、半導体を作ったり、エレクトロニクスの会社になったりするのかもしれない(笑)。それはわからないですけど(笑)。
今後の展望として、藤巻製陶は、敷地がすこしゆったりしているので、いつでも色んな人が訪ねてきた人たちが楽しめるような場を作れればと考えています。昔はいいものさえ作っていれば評価をされる時代でしたが、今や語れなければ作り手ではいられないような時代がやってきつつあるかと思います。それを次の時代に伝えていく、色んな方に広めていく、伝えていくことがいつでもできる体制を構築する、産業観光のような取組にも挑戦していきたいと思っています。
ぜひこのインタビューを見るなり、工芸ルービックキューブを手に取られた方は有田にいらしていただければ、あますことなくご案内いたしますので、ぜひよろしくお願い致します。
―編集後記
当企画を推進するにあたり、九谷焼の商品を扱う弊社が、遠い石川の地から初めて有田焼の産地にお声がけするにあたり、いくつかの窯元さんに伺いました。伺った全ての窯元さんで、快くご対応いただけたのがとても印象的でした。どの窯元さんも藤巻製陶さんと同じく、またこれまでの伝統工芸産地の皆様と同じく、常に新しいことにチャレンジし続ける姿勢に感銘を受けました。
また、今回の取材際して、泉山磁石場や陶山神社、以前から行きたかった柴田夫妻コレクションを展示している佐賀県立九州陶磁文化館にも藤本さんにご案内頂き、非常に丁寧に詳しくお話を聞くことができました。昨年初めて有田駅を降りて有田の産地に伺った時から、磁石場、窯元の規模、その産地のスケールの大きさが印象的でした。流石、日本を代表する磁器産地だと納得させられました。
各窯元さんも試行錯誤しながら今の有田焼を表現すべく日々研鑽されているのが伝わってくる中、藤巻製陶さんの結晶釉の透き通るような美しさに魅かれ、今回のコラボレーションに繋がりました。工芸に携わる身から、この工芸ルービックという企画が1つの商品で6種類もの違う色や質感を手に取って感じて頂ける点はとても魅力的で、伝統工芸の魅力を1つで6倍楽しめる企画だと思います。ルービックキューブの持つパズル性もさることながら、タイルをバラバラにしたときに見せる工芸アート作品としての魅力もこの企画の価値だと思います。そして、この企画を通じて新たな工芸産地の歴史や技術を学ばせていただき、情報発信のお手伝いが出来たことを嬉しく思います。
今回協力いただいた、藤巻製陶 藤本浩輔さんの取材からも有田焼というものづくりに誇りをもって真摯に取り組まれていることや、何事にもチャレンジする姿勢が伝わってきました。インタビュー当日に行われていた地元のお祭りで笛を吹く藤本さんの姿から、これからもたゆみなく地域一体で有田焼の産地を担っていく心意気が垣間見られました。今回の取材で印象的だった言葉が『今や語れなければ作り手ではいられないような時代がやってきつつある』という藤本さんのお言葉でした。この工芸ルービックを手にとり、一人でも多くの方に有田焼に興味を持っていただけると幸いです。そして今回取材し企画した私達も、語り手の一人として有田焼の、そして伝統工芸の素晴らしさを伝えてまいります。
当企画にあたり、有田焼産地との取り組みのフォローを頂いた、アッシュコンセプトの名児耶秀美社長に感謝するとともに、取材時に真夏の炎天下の中、泉山磁石場を丁寧にご案内頂きました、佐賀県有田町役場 廣尾忠典主査に感謝申し上げます。
有限会社 藤巻製陶
江戸時代に遡り明和3(1766)年創業250年以上続く、有田焼産地でも有数の老舗窯元。鍋島藩の定める17窯場の一つとして、代々染付皿や鉢類など食器を中心に生産してきました。
敷地に今も残る大きな煙突は、四角い断面の他の煙突と異なり円筒状の煙突です。これは、戦時中に磁器製の手りゅう弾の生産を強制された際に建てられたもので、今も戒めとして残しているそうです。
その後、高度経済成長期の絵付け師不足の経験から、産地内での差別化を図るため、生産時流に流されず「自分たちらしい焼物で勝負する」ため「固い磁器をいかに柔らかく表現するか」をテーマに、独自の表現を模索。分業体制の有田焼において、生地メーカーでは実現できない形状も型や生地も自社で作るなど、成型から焼成まで自社工房で一貫して手掛ける窯元となる。また一般的に絵付けを施す有田焼とは一線を画し、絵付けせずに有田磁器そのものの価値を上げることにこだわり、白磁や青白磁、結晶釉などを新しく生み出すなど、唯一無二の存在。現代のライフスタイルに合うモダンな有田焼ブランドの他、国内外のデザイナーとコラボレーションするなど、様々な取組と共に、どんな難しい要求にも挑戦する姿勢を貫いている。
工芸ルービックキューブ 有田焼 結晶釉
セット内容 ルービックキューブ本体、専用台座BOX(シリアルナンバー入り・折りたたみカバー付)、有田焼 結晶釉ガイド、取扱説明書 サイズ・重さ 本体 W57×D57×H57(mm)・約420g 価格 250,000円(税込・送料別) 受注期間 2024年09月20日(金)10:00~2024年12月2日(月)21:59 お届け時期 2025年2月から順次発送
※製品仕様は開発段階のものであり、サイズや重量や色味が予告なく変更する場合があります。 ※当製品は受注生産商品です。発送は日本国内に限らせていただきます。 ※当製品はプレミアムバンダイで販売いたします
発売元/株式会社メガハウス
〒111-0043 東京都台東区駒形2-5-4
www.megahouse.co.jp/
企画・デザイン/エイジデザイン株式会社
〒920-0962 石川県金沢市広坂1-2-32 北山堂ビル4F
www.agedesign.co.jp/
協力/有限会社 藤巻製陶
〒844-0025 佐賀県西松浦郡有田町外尾山丙1804
c2024. TM & c Spin Master Toys UK Limited, used under license.
工芸
工芸とは、美的価値をそなえた実用品を作ること※1であり、中でも長年受け継がれている技術が用いられた工芸品のことを伝統工芸といいます。
日本の伝統工芸品の生産は1984年にピークを迎え、バブル崩壊後の経済低迷や安価な海外製品の台頭、ライフスタイルの変化などで年々減少し、現在はピーク時の5分の1といわれており※2、従事者の高齢化や後継者不足など、課題も山積しています。
しかし、近年、日本文化を見直す動きや、モノの本質的な価値を見出す本物志向の考え方も広がりを見せ、現代のライフスタイルに合わせた斬新な商品も数多く誕生、人気アニメとのコラボレーションや、工芸品の海外展開も高評価を得ており、新たな顧客層も獲得しています。
また、日本に各地に根付いている伝統工芸は、今や地方創生の要ともいえる産業であり、文化であり、地域と密接な関係と文脈を持った最強のコンテンツの一つといえます。地方創生施策として、2020年に東京国立近代美術館工芸館が工芸のまち・石川県金沢市に移設され、「国立工芸館」として新たにスタートすることが大きな話題となり、「工芸」への関心はますます高まっています。
時代とともに変化して受け継がれてきた確かな伝統の技術は、新しい感性を加えた「現代日本のものづくり」として改めて注目されています。
※1 広辞苑より
※2 一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会HPより
有田焼とは
有田焼(ありたやき)は、佐賀県有田町を中心に伊万里市、武雄市、嬉野市一帯で焼かれている磁器です。一般的に「古伊万里」「柿右衛門」「鍋島藩窯」の三様式に大別され、白く美しい磁肌、華やかな絵付け、使いやすさ、高い耐久性があり、多くのファンを魅了しつづけています。17世紀当時ヨーロッパの王侯貴族たちが熱狂的に蒐集し、国内においても18世紀初頭には禁裏御用達直納(現在における宮内庁御用達)となるなど名声高く、今なお一度も絶えることなく400年以上受け継がれている日本を代表する伝統工芸です。
その有田焼の輝かしい歴史を簡単に紹介します。
有田焼の歴史
【江戸時代】 有田焼のはじまりと発展
有田焼の歴史は、朝鮮出兵した肥前佐賀藩の鍋島直茂が朝鮮人陶工らを連れて帰り、その陶工 李参平により現泉山磁石場にて陶石が発見され、江戸時代1616年に日本で初めて磁器の生産に成功したことからはじまりました。
1646年には、酒井田柿右衛門が日本で初となる磁器の「赤絵付け」を成功させました。高度な色絵付けは、海外でも人気となり、ヨーロッパの王侯貴族を中心に「imari(伊万里)」・「kakiemon(柿右衛門)」の名で広がり、世界に多大な影響を与えました。(この時代の有田焼が「古伊万里」様式)
【明治時代】 困難を乗り越え、万博で世界的な名声を得て飛躍
江戸時代末期1828年の台風の大火で有田皿山(現 佐賀県西松浦郡)は壊滅的な被害を受け、また、その後飢饉にも見舞われましたが、藩の手厚い支援により復興。さらに有田焼は、佐賀藩が直接オランダへ輸出・販売して莫大な利益を産み、長崎警護のため軍備増強・兵器近代化の資金源ともなりました。
鎖国が解かれ、ドイツ人のワグネル氏と出会い、近代化に欠かせない技術を得て、有田焼は競争力のある産業へ発展していきました。ヨーロッパでは、万博により陶器をはじめとする日本ブームが最高潮に達し、有田焼も様々な賞を受章するなど最盛期を迎えました。
【大正・昭和】 新しいライフスタイルと高度経済成長の影
大正では国内の競合産地に遅れをとる中、有田の陶磁器産業の活性化のため、今日にも続く形で「陶器まつり」を開催し、大成功を収めました。
昭和の戦後、機械化により生産力が向上するも、高度経済成長期以降、多様化するライフスタイルなど様々な課題に直面し、長い試練の時代が始まりました。しかし1966年に開催された創業350年祭では、佐賀県立九州陶磁文化館(1980年開館)建設計画をはじめ、窯業試験場の移転改築、窯業大学校の新設、『有田町史』の編纂、「先人陶工の碑」の建立や、有田音頭「チロリン節」制作など、ハード、ソフト様々な事業により、今日まで続く伝統産地有田の魅力が確立されました。
【平成・令和】 現在も続く有田のものづくり魂
2016年の有田焼創業400年では、「ARITA EPISODE 2」として、新たにオランダ王国大使館との連携や、国内外で活躍する商品開発の専門家やデザイナーを多数招聘、様々なアプローチからの次世代のものづくりを試みるなど、次の400年に向けて、有田焼は今なお挑戦し続けています。
参考資料
有田焼創業400年事業総合ウェブサイト
KOGEI Rubiks Aritayaki Kessyoyu
2024Japan Tokyo & Saga Arita Publisher Megahouse Co., Ltd. Planning / Design AgeDesign Co., Ltd. Cooperation Fujimakiseitou